宿泊料金と時間の関係

2011 年 10 月 31 日

一般的に温泉宿の宿泊料金は、1泊2食でいくら・・・と明記されている。
それは、料理や客室、温泉などの施設利用料が含んでいるもので成り立っている。
いわゆる、ハード面での料金。

でも、私がプライベートで行く温泉宿は、そういった概念で、宿選びはしなくなった。
特に、50近い歳になった最近は、特にそうなった。

若いときは、全然気にしなかった。
そんなもの、いくらでもあると思っていた。
お金はないけど、それだけはあると思っていたもの。

それは「時間」。

今年の夏に、体調を崩してから、なおさら思うようになった。
「時間」というものは、限りがあるのだという事が。

旅をするという事は、時間を費やすことでもある。
それが楽しい時間であるから、人は旅に出る。
忙しく働いた自分に、ご褒美ということで、旅行する人も多いだろう。

宿泊料金とは、いかに自分にとって楽しく時を過ごせるかで、決まるものだと思う。
言わば「時間をお金で買う」ようなものかもしれない。

人によっては、贅沢な家具調度品に囲まれた広い客室で過ごすことかもしれないし、絶景のロケーションに建つ宿の部屋かもしれないし、何もない、ただ自然に囲まれ、豊かな温泉だけがある宿の部屋かもしれない。
そこで過ごす時間、費やす時間が、それぞれの人によって、今「一番過ごしたい時間」であれば、それ以上の贅沢はない。

日常の時間と、旅先の時間は、まったく感覚が違う。
日常と、非日常との時間の違いと言ってもいい。
時の流れの感覚が、違って感じるのだ。

「時間の過ごし方」で、宿選び、宿探しをする。
それは、非常に難しいことだ。
特に旅行経験の薄い、若い人たちにとっては。

若い人たちは、休みが3日とれて2泊する場合、違う宿を探すことが多い。
ところが、60過ぎの旅行熟練者の諸先輩は、同じ宿に2泊する場合が多い。
そして、定宿を持っている方が多い。
好奇心や、物欲的なものを、通り越して、本当に「楽しい時間の過ごし方」を知っているからなのだろうか。
ただ、単に体力が落ちているからなのだろうか。

でも、言えることは、だれでも旅をする時は、今一番「いい時間」を過ごしたいはず。
「時間」というものは、まさに、かけがえのない存在なのだ。

宿を探す際、その施設に何があるか、何が食べられるか、だけでなく、「どんな時間を過ごせるか」を想像することは、決して無駄ではないし、必要な事だと私は思う。
「楽しい時間」は、いつか「思い出」となり、自分だけの「心のアルバム」に格納されるから。

ホテル旅館業界の一部のクリエイティブ軽視

2011 年 9 月 30 日

今、世界は、ITなくしては、動かない環境になっている事は明白な事実。
そして、ソフト産業の社会的地位も、ここ数年上がってきたと思う。
私が、長年働いている広告業界も、企画、デザインはじめ、クリエイティブ部門の評価、地位も向上してきたと思う。

ところが、私の現在携わる、ホテル旅館業界には、旧態依然の考え方が一部残っているのが気になるところ。

一年前、ある旅館を訪問した際、建築業者の設計したロビーと露天風呂の改装案の図面を見せられた。
ロビーには、カーペット、壁紙の張替えはもちろん、天井に古材を使った梁をあしらったモダンな印象にしようとし、露天風呂には新たに庭を作り、眺めを良くしようとした。
業者の見積もりは、合わせて2000万円ほどだと聞いた。

その旅館社長に、意見を求められ、私はこう答えた。
「それで、お客さんは来てくれますか?」と。

お客は、よく来る人でも年に3~4回。
ほとんどのお客は一度しか訪れない。
リピーター客になったとしても、数年後の可能性も高い。

要するに、私はそれだけ費用をかけて「元が取れるか」を考えたわけだ。

もちろん、財政的に余裕にある旅館だったら、何も言わない。
でも、その旅館は、そうではなかった。

私は、その改装案の図面を見せられる半年前に、その宿に数十万円の費用で、公式ホームページ(HP)のリニューアルを提案していた。
しかし、当時は予算がないという事で、保留ということになった。

その社長曰く、「建物は自分で見られるから分かるけど、HPはよく分からない」との事。

つまり、リアルな建築物は見えるけど、バーチャルなHPのようなものは見えない、分からないからお金の価値、つぎ込む費用の大きさが分からないという事なのだ。

その社長のご年齢は60歳超。
分からなければ、部下に聞いていただきたいが、やはりオーナー社長ゆえ、自分の考えが一番との思いもある。

私は、おかげさまで、クリエイティビティに理解してくれる旅館経営者を、たくさん面識がある。
そして、私の提案を受け入れ、旅館にとって一番大事な、売り上げ向上の貢献をしてきた。
理解している旅館は、たいがい、業績はいい。

ここでいう、クリエイティビティとは、集客のための企画立案から、マーケティング、HPデザイン、予約システムの最適化まで、販促全般を考える事である。

しかし残念ながら、前述のような、古い考え方をお持ちの社長も多くいらっしゃる事も事実。

それは、クリエイティブ全般のこと、つまりハードではないソフト分野に関しては、建築資材のような元手がかかっていない、原材料費がないとの理由なのか、どれだけ費用をかけるのか、相場がわからないというわけだ。

私は、twitterをやっていて、フォローしてくれる人の中で「ITコンサルタント」的な仕事の方が何人かいる。
その方のHPなどを拝見すると、私では考えられない破格値で商売している人がいる。

例えば、たった5~10万円で、HPを作りますとか。
それは、同じプラットフォームのデザインの中で、必要事項を入力し、画像をはめこむだけのもの。

それは、私の中では、純粋なクリエイティビティとは言わないし、実際そういった業者(個人)は、低料金だけがウリなので、自然に淘汰されるのがオチだろうと推測する。

でも、こういった価格破壊的な業者がいることで、前述の「HPの事は分からない社長」がいらっしゃるというのも事実。

なんとかならないかと考える日々。
早く、ホテル旅館業界も、他の業界にように、クリエイティブに対して、もっと重要視してほしい。
軽視しているから、いつまでたっても、「じゃらんnet」「楽天トラベル」依存体質から抜け出せないのだ。

温泉宿と経営者の不思議な出会い

2011 年 8 月 31 日

日本の温泉旅館は、土地、建物、そして温泉を先祖代々受け継がれた経営者一族が守っているものが多い。
しかし、残念ながら経営不振や後継者不在により、身売りする例も少なくない。
ここ数年の不況により、身売りだけでなく、閉館するところも目立ってきた。

しかしながら、運よく素晴らしい経営者に出会い、よみがえった宿もある。
ここで紹介するのは、あくまでも投機目的や、会社の保養所のような使い方をするのではなく、温泉旅館本来の姿で、しかも経営者がその宿で業務を行っている所だ。

今回紹介するのは、宮城県鳴子温泉郷の中山平温泉の「琢琇(たくひで)」。
日本秘湯を守る会に所属している温泉ファンに人気の宿だ。
ここは皆さんご存知の通り、3・11の東日本大震災に大きく影響を受けた宿のひとつだ。
運よく建物の一部や温泉の配管が被害を受けたが、しばらくすると営業が再開できた。
ただ、被災者家族の避難場所としては、交通の便のいい鳴子温泉や東鳴子温泉が使われ、一番奥の「琢琇」がある中山平温泉には、なかなか被災者には利用されなかった。
唯一の頼りの一般客も、自粛ムードと、交通アクセスの不安により、激減していた。
そんな中、GWあたりから、少しずつお客が増え始め、なんとか今でも営業を続けている。

「琢琇」は東北だけでなく、全国からお客が来る湯宿として知られている。
その第一の要因は、屋号のサブタイトルに付いている「うなぎ湯の宿」。
湯に浸かればすぐにわかるが、トロトロの肌ざわりからきている。
アルカリ性の温泉なのだ。
しかも、硫黄の香りがし、美肌効果があると言われる炭酸水素塩泉、硫酸塩泉の泉質も持っている。
俗に美人湯の4大要素と呼ばれる「アルカリ性」「硫黄泉」「炭酸水素塩泉」「硫酸塩泉」すべてが、揃っているところがこの宿の温泉の特徴なのだ。

その「琢琇」だが、前身は「中山平山荘」という宿だった。
のちに「琢琇」のオーナーとなる佐々木久子さん(昭和13年生まれ)は、宿を買い取る時は、パートの住友生命のセールスレディから身を立て、最後には東北一の業績を上げ、支部長まで上りつめた伝説の女性だった。
しかしプライベートでは、夫と別れ、3人の子供を育てながら、奮闘の日々だった。

そんな時、時間を見つけては、この中山平温泉に足しげく通うようになっていた。
それは、子供たちのアトピーを治すためと、久子さん自身の癒しの目的もあったようだ。
しかも、そこは幼い頃、昭和47年に亡くなった母親に連れて行ってもらった、懐かしい、母の面影が残る、トロトロのお湯に違いないと感じていたからだ。

そして、当時50歳になっていた久子さんは、自分の体力的な事もふまえて、今まで子供を預けて働いていた環境を変え、家族いっしょに働ける旅館経営を考え始めていた。
いくつかの売り物件の中で見つけたのが、後継者不在で休業していた「中山平山荘」だった。

しかし、持ち主は、売ることを躊躇っていた。
実は、前にも買いたいという人はいたが、ほとんど建物や木々を伐採し整地して、温泉付き別荘として売り出すプランだったと言う。
久子さんは言った。「出来ればこのままの状態で経営させてもらえますか?」
この一言で前オーナーは久子さんに売却することを決めたという。

そして、別れた亡き夫が受取人を子供たちにした保険金と、久子さんの全貯金を使って、宿を手に入れ、平成3年の開業にこぎつける。
しかし、久子さんはこの頃、まだ住友生命の支部長をしていた。
宿を買ったはいいが、リフォーム費用や運転資金などまったくメドがたっていなかった。
当時の久子さんの給与は住友生命から月数百万円はもらっていた。
それから倹約生活をはじめ、このお金を貯めて軍資金としたのである。

当時、久子さん52歳、長男27歳、次男25歳、三男23歳。
長男の方はすでに自衛隊に入り国家公務員になっていたため経営には直接参加していないが、次男の直琇さんは専務取締役、三男の綾人さんは常務取締役とした。
久子さんは晴れて社長兼女将。
しかし、保険の仕事もあり、実質の経営は次男の直琇さんが携わった。

しかし、めでたく開業までこぎつげたものの、客足はさっぱりだった。
朝6時に宿を出て仙台の住友生命のオフィスに出勤、夜は宿での接客、掃除などで時間を忙殺された。この頃の睡眠時間は3、4時間だったという。
客がいなくとも、仲居さんらスタッフにも給料を支給しなければならない。
それのほとんどは住友生命からいただく給料から当てられた。
まさに綱渡りのギリギリの経営だった。

時が流れて、平成7年に重大な決断をする。
まだ、「琢琇」は充分な経営状況ではなかった。
相変わらず、赤字の補填は住友生命からいただく報酬でまかなっていた。
しかし、ここで久子さんは思う。「宿を買ったのはなぜだったのか?」「子供たちといっしょに働きたいからではなかったのか?」自問自答を繰り返したが、遂に心を決めた。
住友生命には選択定年という制度があり、25年以上勤務し、55歳を過ぎると定年を選択できるというものだ。
そこで平成7年11月の誕生日に退職届を提出した。久子さん57歳になっていた。

当時、久子さん率いる支部はセールスレディが100人を超える陣容で、次期リーダーも育ってきたことも、退職する環境になっていたという。
しかし、住友生命仙台北支社にとっては、久子さんは重要な存在であった。IQA、MDRT、21世紀クラブ、国民クラブの正会員になれたセールスレディは仙台北支社では久子さんただ一人だったことからもうかがえる。
勇退の意志は固かったが、当時の支社長からの熱心な説得により、還暦までスタッフ教育の講師の任を受けることにした。

住友生命の退職金などは、ほとんど宿の運転資金にまわした。銀行融資には、自宅、マンション、「琢琇」の敷地などすべて担保に入れていた。
これ以上の借金は難しい状況だったのだ。
この頃は日本経済がバブルからはじける頃で、先行きも不透明な時代であった。
それでも退職金を利用して、露天風呂「鶴亀の湯」や露天風呂付き客室「松島」、囲炉裏付きの客室「春駒」・・・などリニューアルを試みる。
すると、徐々に客足も増えてくるようになった。

女将業に専念して3年目の平成10年。ようやく経営が軌道に乗ってきた。
しかし、それはフロント受付、板場の手伝い、接客、寝具の準備など、すべての業務をこなしての結果であった。夕食は午前0時過ぎ。朝は午前4時に起きて調理場に入る。
しかし、そんな無理な生活は長く続かなかった。

女将業が板についてきた平成14年の秋、体調を崩した。女将・久子さんは64歳になっていた。
医者の診断は直腸がん。目の前が真っ暗になった。
診断によるとがんの進行状態は2ステージから3ステージ初期の間。場所が悪い場合は人工肛門を付ける覚悟はしてくださいと言われたという。

平成15年初めにすぐに入院し手術を受けた。
S字結腸部分を29センチほど摘出した。
幸いに肛門部分にがん組織が転移していなかった。
手遅れになる一歩手前の状況だったという。
手術は成功したが、その後が大変だった。
トイレも1日15、16回も駆け込むようになった。
そんな入院が45日も続くとも、宿の方は営業しているわけである。
女将という大黒柱が不在では、このときはまだ「琢琇」はこころもとなかった。
この時、総支配人が病院のベッドに来て「月末の支払いをどうしましょう。」と言ってきたのだ。
女将がいないということでキャンセルも相次いだことも原因だった。むろん、入院していることなど、常連客にも知らせなかった。
しかし、その総支配人の言葉で、「琢琇」の女将が復活した。「こんなところで寝てはいられない」

久子さんもこの時、当たり前だが生命保険に入っていた。
がんにかかると2,000万円の保険金が出るという特約のものだ。
この保険金により平成15年2月末の支払いは滞りなく済んだ。

振り返ってみると「琢琇」の運転資金は、女将・久子さんが身を削っての捻出の賜物だった。
宿の買収資金は、元・夫の保険金と自己資金によるもの。
リニューアル資金は、住友生命の退職金などが当てられた。
さらに今回も自らの保険からのもの。
まさにすべてを「琢琇」に捧げているようだ。

しかし、3年間は退院しても体調はすぐに元には戻らなかったという。
それでも、今まで無茶をしていた自分を反省し、少しずつ余裕を持って仕事をするようになった。
日々の業務が忙しすぎて、「琢琇」自慢の温泉にも浸かる時間が少なくなったと思い、できる限り「うなぎ湯」に浸かることを心がけた。
すると、日一日とカラダが本調子になってきた。
一番身近な「琢琇」の温泉が、女将のカラダを優しく治してくれるように・・・。

平成17年には、東北電力の保養所・鳴子荘を買収し、翌平成18年に「琢琇」の姉妹館として「スローライフ琢琇 のんびり館」がオープンした。
さらに平成19年1月には合宿、研修に最適な貸切にもできる宿泊施設「旅荘 万歳楽」を。
4月には、隣接する熱帯植物園も買い取り、一部リニューアルを施し「ORAGA鳴子の熱帯植物園」としてスタートさせた。

気が付けば、2,000坪の敷地を買収するところから始まった「琢琇物語」も、今や1万2,000坪を超える規模に発展した。
とは言っても、「万歳楽」を入れても総客室数22室の規模。
個人客を中心にしている宿には変わりない。

佐々木久子という、類まれなるパワーと光を放つ女性が、ここ鳴子の中山平温泉で女将をするということは、なにか運命的なものを感じる。
「手に職を付けよ」と言った父親も、働くことの素晴らしさを説いた母親も、ドレメ時代、住友生命時代も、すべて女将業へのアプローチに思えてくる。
今、直琇さんという後継者にも恵まれ、そして手塩にかけたスタッフに囲まれ、「琢琇」は円熟期を迎えているようだ。
経営者が佐々木久子という女性に代わって、この温泉も喜んでいるに違いない。
~「貸切温泉どっとこむ」琢琇の記事ページより一部抜粋
「名湯・秘湯 うなぎ湯の宿 琢琇」記事ページ
/宮城県・鳴子・中山平温泉

【お知らせ】
「琢琇」の温泉の素晴らしさをアピールするために、多くの温泉評論家、ライター、タレントさんが受講している「温泉ソムリエ」のセミナーを、2011年11月23日(水・祝)の勤労感謝の日に、ここ「琢琇」で行う事としました。
私の旧友である、温泉ソムリエ家元の遠間君とのつながりで実現したセミナー。
当日は、日帰りで受講するだけでもOKで、セミナーの後は、私、大竹と、遠間君といっしょに受講者を集めて、夕食の食事会も企画しています。
名湯・秘湯の湯で、温泉談義も楽しいものです。
もちろん、「琢琇」に宿泊するプランもあり、「温泉ソムリエ」セミナー受講者には、10%OFFの特典も付いています。
通常、このセミナーは、東京・大阪など大都市圏で行っているものですが、今回のような「美人の湯4大要素」が揃っている奇跡の湯と言っていい温泉で、実施できるのは意義深いものと思われます。
ぜひ、多くの皆さんに参加していただきたいと思います。
なお、詳細は、「琢琇」の公式HPや、「貸切温泉どっとこむ」でご紹介する予定です。