‘日々思うこと’ カテゴリーのアーカイブ

一期一湯 移動はつらいが役に立つ

2016 年 12 月 31 日 土曜日

また、あっという間の大みそか。
時が過ぎるのは、ホントに早い。
振り返れば、ある程度目標を立てていた事の、半分もやれていないかもしれない。

そして、年末年始は冬だから当たり前のように寒い。
こんな時は、やっぱり温泉に浸かるのがいい。
氷のように冷えきった足先などが、湯温でほぐれるような感覚がたまらない。
年明け早々、雪景色の空撮も予定しているので、夜の温泉浴が楽しみだ。

インバウンド対策の一環だが、そのドローン空撮も含めて、最近、温泉旅館のプロモーション動画を作る機会が増えてきた。
私の場合、撮影も自分でするので、編集があがって、お宿さんにそれを届けて、社長さんや女将さんの反応を見るのが何よりの楽しみ。いや、スリルか?(笑)
万が一、気に入っていただけなければどうしよう・・・とか、考えることもあるが。
しかしながら、大体がいい感想をいただけるので、やはり、時間が許せば直接お伺いするようにしている。
喜んでいただけた時が、自分にとって一番の至福の時であり、次へのエネルギーとなるから。
とはいっても、北海道から九州まで、お宿さんは全国にあるので、移動費も相当かかるのは確か。
それでも、クライアントさんの笑顔を見たくて、出向くのである。
もちろん、機材があるので、どんなに遠くてもクルマ移動だが・・・。

急ぐ場合、時間がない場合は、メールで送ることもあるが、やはりそれはさみしい。
自分なりに相当な時間と労力をかけて作ったものだからこそ、直にお見せしたいのだ。
大げさかもしれないが、自分の子どものようなものかもしれない。

来年は、もっといい年になりますように・・・。

自分にあった生き方

2016 年 11 月 30 日 水曜日

私は、人間、歳を重ねると、どんどん人生の過ごし方、社会の処世術を学んで、ゆったりとした生活ができると思っていた。
しかし、齢54になって、ここ最近思うのが、ゆったりどころか、年々、毎日の仕事に追われているような気がする。
何かの書類に、職業という欄を見つけた時、以前は、会社経営と書いていたが、ふと考えると、経営という経営は、自分がしてきたか・・・と自問自答してしまう。
自分は、経営というよりも、自分で興味があるものを、自ら率先して入り込み、それをビジネスに昇華させて、会社の業務のラインナップとして少しずつ増やしてきた。

そのツケがまわってきたのか、分からないが、何かひとつ大きな仕事を終えても、次から次へと仕事が待っている。
でも、私は、喜ばしいことに、そんなハードワークの日々でも、大病をして、病院のお世話になったことは、ほとんどない。
最近でも、東日本大震災の時にストレスから首を痛め、それが要因で、体重が大幅に増えたことぐらいで、なんとか仕事をこなしている。
ところが、私の周りの同年代、もしくは下の世代の方でも、体調を崩したり、入院したりする人が数多く聞くようになった。
みなさん、共通しているのは、仕事に真面目で、忙しい方ばかり。
何事も、仕事を優先しているから、自分の体調は二の次になってしまうのか・・・。

私の場合、よく考えてみれば、ここ数年で大きくライフスタイルを変えたことに気が付いた。
自分の「オフィス」に行かなくなったことだ。
常識ならば、社長たる者、会社に毎日顔を出し、社員に叱咤激励しながら、陣頭指揮をとるのだろう。
それを・・・やめた。
スタッフを信じて、会社に行くのをやめた。
すると、前述のように、次から次へと、新しいアイディアが浮かび、結果、業務が拡がってきた。
通勤の時間を、考える時間に変え、さらにクリエイティブな作業に充てることができた。

やっぱり、歳を重ねると、こんな私でも、自分なりの処世術を結果的に作り上げられたのかもしれない。
今のところの自分の結論としては、常識にとらわれない、基本はストレスをためない・・・という事なんだろうか。
自分に合った生き方をしていれば、病気になる確率は少なくなると思う。
健康は、何よりも大事な財産ですね。

不満足だからこそ生まれる事

2016 年 5 月 31 日 火曜日

私の子供時代、熱狂しながら観ていたテレビ番組があった。
いわゆるスポーツ根性もの、略してスポ根漫画の代表格「巨人の星」だ。
後にジャイアンツの投手となった星飛雄馬が主人公。

小さい頃から、父・一徹のスパルタ教育を受け、毎日野球の練習に明け暮れ、将来は巨人のエースになる事を夢みる飛雄馬の成長物語だ。
しかし、念願のプロ野球の、しかも巨人の投手になったのも束の間、速球は投げられるものの体格が小さいため「球質が軽い」=「打たれれば球が飛びやすい」という、肉体的というか、体質的というか、練習をしても改善できない「致命的な欠点」を突き詰められる。

そこで、飛雄馬が考えたのがいわゆる「魔球」。
変化球を覚える選択肢もあったが、それは中途半端な投手にはなれるかもしれないが、飛雄馬が目指すのはあくまでも「巨人の星」であり「巨人のエース」だった。

だからこそ、誰でも投げられない、そして打たれない魔球が必要だったのだ。
その名前が「大リーグボール」。
飛雄馬は、苦闘の末、1号から3号まで、実に3つの魔球を完成させた。
その時は、紛れもなく飛雄馬は「巨人の星」だった。
「球質が軽い」=「打たれれば球が飛びやすい」という事が無ければ、飛雄馬が体格に恵まれていれば、「大リーグボール」は生まれなかった。

つまり、現状に不満足だからこそ、生まれた魔球なのだ。
これは、私たちの生活のなか、ビジネスのなかでも考えられる事。
現状に満足していたら、そこで成長は止まり、後は、下降するばかり。
不満足こそ、成長の原動力とも言える。
私も、現状の不満足の中から、自分なりの「大リーグボール」を、現在開発中だ。

しかし、無理はいけない。
飛雄馬が考えた魔球の最終形「大リーグボール3号」を完成した後、それが原因で、まもなく彼の投手生命も終わり、最終回を迎える。

自然災害と温泉宿

2016 年 4 月 30 日 土曜日

2016年4月14日以降、熊本県・大分県を中心におこった群発地震は、数々の民家を倒壊させ、多くの死傷者を出した。
被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
東北生まれの私にとって、これで思い出されるのは、2011年3月11日の東日本大震災。
まだ、あれから5年しか経っていないのに・・・おきてしまった。

ちょうどその頃、まさに東北から北関東を周っていた時期だった。
東北の、ある宿の女将は、熊本の地震のニュースを聞いて、その場でへたりこんだという。
5年前の悪夢が、思い出されたからだ。

このブログを書いている4月30日現在でも、少なくなったとはいえ余震が続いているらしいが、九州の南北の大動脈である九州新幹線や九州自動車道も復旧し、私からすればもの凄いスピードで、復活しようとしている。

今月後半は、スタッフ総出で、関係している九州のお宿さんと連絡を取りつつ、キャンセルなど相次いだお客様への対応のお手伝いや、最新のニュースの告知などのフォローを、できる限りさせていただいた。
その時感じたのは、やはりフェイスブックなどSNSの役割の大きさだ。
HPの更新などままならない時でも、スマホさえあれば、いつでも新しい情報をアップできる。
その情報伝達のスピードは、今回の地震の影響を少しでも減らしてくれた感がある。

それでも、黒川温泉や由布院温泉でも、宿の一部が壊れ、解体せざるを得ないところもいくつかあると聞いた。
この地震を機に、廃業する宿もあるとも聞いた。

いずれにせよ、大きな地震は、自然災害は、宿の未来、人の人生を狂わせる。
温泉宿は、家のように簡単には引っ越せない。
大地の下に眠っている温泉とつながっており、かつ運命共同体だからだ。

温泉という自然の恵みをいただいている日本という国は、火山大国であるという事実から逃げられない。
だからこそ、微力ながら、少しでも、愛する温泉宿を守りたいと改めて感じた。

今年の“紅葉”

2015 年 10 月 31 日 土曜日

今、私は、この時期、目が回るほどの忙しさだ。
その原因は“紅葉”にある。
昨年から、空撮(ドローン撮影)を始めたからだ。
予想以上の受注を受け、全国を飛び回っている。

新緑の季節は2ヶ月、雪景色は場所によっては4ヶ月以上もある。
ところが、“紅葉”のピークは、あっという間に過ぎ去ってしまう。
1~2週間といったところだろう。

だからこそ、いっせいに色付き始める10月下旬から11月は、例年になく忙しくなった。
この時期の温泉宿は、繁忙期にあたる。
だからこそ、宿泊する部屋の確保も難しくなる。

考えてみれば、今まで空撮などやっていない時は、繁忙期は温泉取材など行かなかった。
閑散期を狙って、出かけていた。
しかし、それも今はできない。
映像確保が第一だからだ。

思えば、銀塩カメラの時代、フィルムが一番売れたのが、紅葉の時期だったという。
夏休みでもなく、GWでもなく、お正月でもない。
紅葉が、まさしく行楽シーズンの中心なのだ。

考えると、紅葉の季節は、やはり彩りが美しい。
赤、黄色、緑・・・とバリエーションがある。
新緑や、桜の季節もいいが、やはり、“絵”になる写真が撮れるのが、この時期なのだ。
カメラを持って出かける人たちが、全員フォトグラファーとなる季節なのだ。

私は、明日も、明後日も、4K対応のカメラを積んだドローンを持って、全国を動いている。
もちろん一眼レフも忘れていない。
あと1ヶ月は覚悟の時期となる。

北海道にて

2015 年 8 月 31 日 月曜日

今更ながら思うが、全国旅をしている私は、すでに何処に行っても、いわゆる“旅情”気分が味わえなくなって久しい。
それもそのはず、仕事で日本中を周っているのだから、当たり前か。

そんな中、昨年に続いて、北海道・十勝で、新人研修合宿を敢行。
私も北海道に取材目的ではなく赴いた。

しかし、何度も感じることだが、北海道は何度来ても、“旅情”気分が、薄まらない。
それは、本州にはない土地の広大さと、冷涼な空気がそうさせるのか・・・。
いつも、この土地に足を踏み入れると、なぜか精神的にリセットさせてくれるような気がする。

元々は移住者で、小さな宿を切り盛りしている若者や、地道に美味しい野菜を作り続けている老夫婦、一人で45日間も道内を旅している香港の大学生など、今年も、新鮮で嬉しい出会いがいくつかあった。

合宿先では、昨年も数日間、同じ宿を共にした、釣り名人の人生の先輩にも、1年ぶりに再会できた。
それと、名古屋からヒッチハイクで北海道まで辿り着き、宿でヘルパーをしている若者にも出会った。
この北海道という大地には、何か人を活性化させる、エネルギーみたいなものがあるように思える。

しかし、そんないいことばかりではない。
私の崇拝する映画界の巨匠、山田洋次監督が、定宿にしていた某・道東の温泉旅館が、ひっそりと売却されていた。
宿の社長が、昨年、体調を崩して、後継者もいなかった事から、廃業に至ったらしい。
「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」「遥かなる山の呼び声」・・・など、北海道ロケの際には、監督が必ず利用していた(プライベートでも)宿が、昨年無くなっていた・・・。
悲しかった。

ここだけでなく、北海道は、小規模の温泉旅館が次々と廃業している。
自然の厳しさとともに、後継者問題、そして一番肝心な営業赤字問題。
温泉旅館がなくなれば、そこが管理していた温泉も消滅するという事なのだ。
これも悲しい。悲しすぎる。

そのような流れを少しでも食い止めるべく、微力ながら、サポートしていこうと、私なりに心に誓った。
また、来るぞ、北海道!

この夏、発見した事。

2014 年 8 月 31 日 日曜日

もう、8月が終わる。

夏が終わる。

暑くて、苦手な季節だが、世の中が、少し遊ぼうか、休もうかという風潮が漂うので、夏という時間は好きだ。

 

さて、その夏に、仕事合宿で、北海道に行った。

予定より3~4日期間を延ばして、10日間以上も北海道で過ごした。

WiFiも、ウォシュレットも、エアコンもないところで・・・。

 

そこで、気が付いた。

私は、ルーチンワークが多すぎる。

東京や、普通に出張で全国周っている時には、気づかなかったが、日々の細かい作業が多すぎる事に気付いた。

 

今更ながらと思うが、これが北海道に行って、最大の収穫かもしれない(笑)。

 

それで、東京に戻って、少しずつ、細かい、私じゃなくてもできる仕事や、どうでもいい事を減らそうと決意。

それはそれで、半年はかかるかもしれない。

 

けれど、その余った時間で、やりたい仕事、やりたい勉強を、もう見つけている。

じゃー、それじゃ前と同じじゃないかとツッコミを入れられそうだが(笑)。

 

でも、もう、私も齢52。

そろそろ、新しい事をやるのも、これから難しくなってくる年代。

 

でも、良かった。

それに気づいて。

 

ありがとう、夏。

ありがとう、北海道。

いまさらの“夏合宿”

2014 年 7 月 31 日 木曜日

私は夏が苦手だ。

理由は暑いから。

でも、夏休みは好きだ。

理由は休めるから(笑)。

 

夏休みこそ、近場よりも遠出がしたい。

そんな事を考えている方は多い。

 

そうなんです。

夏は遠出をすべきなんです。

特に国内!

 

わがニッポンには、世界が羨むほどの自然と環境が揃っている。

海外ばかりに気を取られている方も、日本の隅々を見てほしい。

 

そんな事を言っている私は、この夏、北海道に行く事を決めた。

厳密に言えば、本当の夏休みではないが、いつものような仕事でもない。

 

実際に温泉宿にも行かないし、取材もしない。

一部のスタッフとともに、いわゆる“夏合宿”をすることにした。

しかも“温泉”抜きで!

 

中身は、詳しくは言えないが、近い将来の“仕事”のためでもある。

じゃー夏休みじゃないじゃないか!・・・とツッコミを入れられそうだが、私にとっては、旅行は遊びか、仕事か分からなくなっている(苦笑)。

 

実際、大好きな“旅”が、今では仕事になっているし(汗)。

 

でも、いつも違う環境で、集中して新しいものにチェレンジしていく事は、絶対にメリットが多い。

これからのアイディアも、泉のように湧き出てくる予感もいっぱいだ。

 

北海道といえども、昼間は暑い。

でも、今回はエアコンもないような、快適施設のないところに泊まる。

私にとって無謀(?)とも思えるこの環境でも、自分を見つめ直すチャンスだと信じて。

 

秋には、見事な収穫を期待して・・・。

 

「源泉かけ流し」の教え

2014 年 2 月 28 日 金曜日

最近、お世話になった温泉旅館の女将さんが亡くなった。

週末に会社にFAXが流れていたみたいだが、気が付いたのは月曜日の朝。

私は仕事の予定をキャンセルして、慌てて新幹線に乗り込んだが、着いた時間は夜の9時をまわっていた。

宿の方に、女将の顔を見てやってくださいと促された。

女将は歳も70を超えていたが、まだまだ元気な姿を見せてくれていたので、実感はなかったが、その穏やかな目をつむった安らかなお顔を拝見して、現実を思い知るしかなかった。

 

思えば、その女将さんとは、私の母と歳も近いせいか、実の母のように、ざっくばらんと話をしていたように思う。

仕事の話をしていても、いつのまにか、別の話に脱線していた事もしばしば。

いつも笑顔の絶えない、優しい方だった。

 

そんな女将が、愛してやまなかったのは、やはり温泉だった。

「源泉かけ流し」にこだわり、宿に数ヵ所ある湯舟を、数時間おきに湯守に温度チェックをさせ、常に湯加減に気を配った。

 

同じように、女将さんが生前、気を使っていたのは、温泉の衛生面だった。

ここで言う「かけ流し」とは、循環ろ過をして塩素消毒をするのではなく、源泉をそのまま、湯舟に流し、その湯量によって温度調節をし、湯舟から湯が溢れ出る事により、常に新鮮な温泉が注がれていくという意味である。

ここで心配なのは、レジオネラ菌の存在。

いくら、新鮮できれいな源泉が注がれていても、お客がカラダを洗わず、もしくは簡単に下半身にちょっとお湯をかけるだけで湯舟に入られたら、それは「源泉かけ流し」の最大の敵なのだ。

 

よく大きな温泉ホテルや旅館で見かける、英訳の付いた温泉の入り方マナーのポスターでも、かけ湯の事は書いてあるが、最初に、石鹸でカラダを洗うとは書いていない。

ちょっとだけ掛け湯して入りなさいとあって、その後に湯舟に入って、それから石鹸で洗いなさいとあった。

最初にそのポスターを見たときに、愕然とした事を覚えている。

 

しかし、そのポスターは、よく考えたら、循環ろ過をしている施設向けだったのかもしれない。

私の知る限り、全国の温泉宿の中で、完全な源泉かけ流しの宿は、実は1割にも満たないからだ。

 

私は、源泉かけ流し絶対論者ではない。

不特定多数の方が入る大浴場では、すべての方が、カラダをよく洗ってはいる事を守ってくれるとは思わないから、塩素消毒の循環ろ過風呂も、存在価値があると分かっている。

外気温によって湯温の調節が難しい露天風呂などは、温泉そのものを楽しむより、眺望と開放感を楽しむ要素が強ければ、湯温が一定に調節できる循環風呂の方が好ましい場合もある。

 

さて、女将さんの葬儀の前の晩、その宿に泊まらせてもらった。

いつもながら、女将さんの性格をそのまま泉質にしたような、優しく、包み込むような、本当に柔らかい温泉だった。

その感触に、その心地よさに、思わず女将さんを思い浮かべ、涙した。

 

湯舟を出て、脱衣所でカラダを拭いていると、女将直筆の温泉の注意書きらしきものが貼ってあった。

「手も、足も、おしりもきれいに洗って、ニコニコかけ流し」。

心から、源泉かけ流しの温泉を愛する方だった。

合掌。

三本の矢

2013 年 12 月 31 日 火曜日

もうすぐ2013年が終わる。

そして2014年が始まる。

いつもなら、今年を振り返ろうとなるのであるが、今回はちょっと違う。

私の個人的な心情を言えば、今年は振り返るのではなく、来年が楽しみで仕方がない。

そんな感情にしてくれたのは、「三本の矢」の存在。

「三本の矢」と言えば、あの戦国時代の雄・毛利元就が語った、1本の矢であれば折りやすいが、3本合わせると折りにくい、つまり力を合わせれば何事にも打ち勝つとの逸話だが、最近ではアベノミクスでも、金融緩和、財政政策、成長戦略の基本方針を「三本の矢」と呼んでいる。

私の「三本の矢」とは、ここでは詳しくは言えないが、簡単に紹介すると、最強の武器を持ち、新規サービスを立ち上げ、錦の御旗を掲げて現行勢力に対抗するというもの。

現実には、どこまでできるか分からないが、精一杯突き進むつもりだ。

私も来年で齢52を数えることになる。

何年生きられるか分からないが、そろそろ本当に勝負がしたくなってきた時期なのかもしれない。

・・・と年の暮れだから、このぐらい言ってもいいかなと(笑)。

でも、目標というか、目の前にそんなものが具体的に出てきたのは嬉しい限り。

人それぞれに、平等に、時間が与えられている。

その貴重な時間をどう使うか、どう楽しむかが、これからの私のテーマでもある。

「人生、楽しまずして何とする」・・・伊達政宗も言っている。