東日本大震災から一年

2011年3月11日。
多くの人たちにとって、忘れならない日となった。
未曾有の大震災は、数えきれない悲しさをもたらした。
そして、私が携わる業界にも、多大な影響を及ぼした。
観光立国を謳い、中国をはじめインバウンドの受け入れを推進させた政府の思惑も崩れた。
円高もダブルパンチで、急速に海外からの旅行者を減らした。
もちろん、国内の旅行者も自粛ムードもあり、多くの宿泊施設の宿泊客数は、前年比割れを起こした。

あるホテル経営者は「国内の宿泊施設は多すぎる」と言った。
平日はガラガラ、週末でも満室にならないといった現象だけ見れば、そうかもしれない。
これだけ需要と供給の差があるのだから。

しかし、多くの日本人が愛する温泉旅館はどうなのか?
このまま、どんどん淘汰されてしまっていいのだろうか?

淘汰といえば、北海道。
昨年、ある程度周ったが、長年の不況によって、多くの温泉旅館がいつの間にか閉館していた事に驚いた。
もともとマーケットが本州より小さいうえに、後継者も見つからず、泣く泣く閉じるところも多い。
これが、震災がひとつきっかけとなって、全国規模での温泉宿の淘汰現象に加速度を増した感がる。

私も、温泉宿を応援するサイトを作ったり、ツイッターなどで啓蒙活動を行ったりしたが、一部の盛り上がりに過ぎなかった。
津波などで亡くなった方に同情して涙はするが、東北のがれきの受け入れには反対する人のような、そんな虚しさを感じたりもした。

しかし、温泉宿の存在は、なくてはならないものと再認識させた事もあった。
津波や原発事故で、家を奪われた人たちの、仮設住宅ができるまでの住まいとして活躍したからだ。
これは、社会的に必要なインフラだという証明にもなった。

今や消費活動の中心となったコンビニも、食料品などを買うだけでなく、ATMや宅配便の受付、公共料金の支払い、そして、災害時の情報拠点などの役割も加わった。
このように、社会の動向、時代の変化に、リンクしていけば、これからの温泉宿の役割はどんどん広がってくるはず。

人はパンのみで生きることはできない。
心に余裕を持ち、癒しを求めるのが人間なのだ。
実際に、東日本の温泉宿も、昨年秋頃から、回復基調になってきた。
日本人にとっては、温泉旅館を「大事な人との楽しい時間を過ごす」ツールだったり、または「自分のご褒美」のための施設と考える事もあるだろう。

地方に点在する温泉旅館は、家業として営業しているところが多い。
ところが、小規模のところは、総じてネットを含め、マーケティングに疎い。
分かりやすく言えば、現代風の商売が下手で、自分の宿の魅力を充分に紹介しきれてないところが多いのは事実。

逆に、旅館の中身よりも、宣伝、広報が長けているところもある。
人気のキーワードを使い分け、宿のイメージアップをするのが上手い宿は繁盛している。
例えば、「〇〇で一番の老舗宿」「文人墨客が愛した湯治宿」「美肌の湯」などを羅列しているが、実際の温泉は、循環ろ過装置を使った塩素臭のするお湯で、しかも浴槽の湯の入れ替えは週に一回だったりする。

本物を見分ける目が必要となってくるが、これが今問題になっているクチコミでは、まったく分からないのが現実。
そんな環境だからこそ、私自分の役割があるように思えるのだ。

商売は上手くはないが、本物の宿。
お客に真摯に真面目に接している宿。
そして、後世にずっと残したい宿。
そんな温泉宿を、微力ながら、私はこれからも応援していきたい。